言葉について

死亡記事を書く

珍しくマネー系の仕事をすることになり投資の本を数冊読んだ。すごいな、いろんな仲間内の用語があるんだなと思いつつ情報を集めていたら、ウォーレン・バフェット氏が株式総会で「大きな失敗を避けるにはどうすればいいか」という問いに対して「自分の死亡記事を書いてから、その通りに生きるにはどうしたらいいか考えなさい。そんなに複雑なことではない」と語ったという話を知った。

大きな失敗を避けるにはという命題はなくとも、面白そうな試みだと思った。

「翠雨は2043年5月16日、スコットランドの港町オーバンにおいて自転車で焼きたてのスコーンを友人に届けた帰り道、坂道で転倒し息を引き取った。日本に生まれ、30年間執筆の仕事をしたのち、58歳スコットランドに渡る。執筆のかたわら、数人の友人たちと菓子を焼き週末のマーケットで売り、生活の糧としていた。ダンスが好きで、拙くも味のあるギターを弾き、海を眺めることをこよなく愛したと友人は語った」

ありかもね。
ここ数ヶ月、仕事がやや凪の状態にあった。出版不況はもはや通常モードで、この先の細い尾根筋を転ばないようにするにはとか、自分の文章の質が落ちている、とか細かなことばかり考えていた。
年を重ねてもたぶん自分は好きなものへの態度はそう変わらず、新しい友だちができるかもしれず、異国で暮らしたりするかもしれなくて。そもそも私はそういった未知なる、かたちのないものを思い描くことで力を得る性質を持っていたことを本当に久しぶりに思い出した。

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