日常

不適合

我がメンターのSがメールで書いてくれたことを繰り返し読んでいる。

「人って単純なことだけでバランス取れている人って
本当は少ないんだろうな
人間の本質
誰にどう向き合うか、自分自身の感情や状況や想いや考え方って
必ずしも見事にマッチングしているわけじゃなくて」

私は自分が統合されることを求めてた。でもこの数カ月間、思うことと行動がまったく合致していなかった。

気持ちと行動がバラバラで、仕事して、思い浮かんだことをここに置いて、電池が切れたら布団に入って読書する。気持ちがなにかを考え出す隙を与えずにいた。Sが言った「単純なことだけでバランスは取れない」、その通りなのに、過去に編まれた哲学の言葉に私を統合してくれるたった一つの解決法を求めては敗北していた。

きのうとても哀しいことがあった。
それとこれとは別で、本日これから行く農業の取材資料を読み込まなくてはいけなく、同時に、直面している締めきりの本を1冊読んでから方向性も定めて打ち合わせの準備をしなくてはならず……で、目の前の文字がパズルにしか見えなくなり頭がパンクした。打ち合わせ、しなくていいです。やってみますと伝えた。
夕べ眠れなかったから体はくたくたなのに、頭が冴えている。早々と布団を敷いて泣いていた。ひとりで泣きたい叫びたい壊れたいけどひとりになれないから、布団のなかを基地にした。どうしたの?と言われて、もう書けない、仕事をしたくない、と言った。頭が回らないからこの先のことを考えると怖い。向いてないんだね。と言われた。ああ、そうなんだな、と思った。向いてないのにやっている、これも不適合のひとつ。
できないことはできない、助けてほしいならそういえばいいんじゃない? ひとりで全てできるような顔をしているから寄りかかられてしまうんじゃない?

たくさん泣いて、ぼーっとして、体の重力が少し軽くなった。泣くことは強力な、気持ちと行動が合致する行為。笑うこともそうかも。

私はいま、気持ちの行き場を決められない。行動もとっちらかっている。それでも、仕事は自分のアンカーにもなりえる。今を見失っている自分が、今日やるべき作業、対話をこなしていく。いつだって閉じることができる。

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