日常

多孔的な自己

今日はクリニックで鉄剤と漢方薬をもらい、貧血検査の注射をして帰ってきた。
それからぐおーと原稿に集中してたけど、なんかお腹はチクチクするしだるいし。胸が圧迫されたように息がギクシャクする。こういうときは横になってもドキドキが止まらない。で、日記でも書くことにする(まだ書くんかーい)。私にとって書くことはつくづく治療だと思っているから、書きたくなったら書くを繰り返していくことにする。書くことで逸らすことができるもんだったら書けばいいんだ。てやんでい。

お昼は玄米と納豆と残り物の大根の煮物。さあ夜は何を作るんでしょう。まったく食欲がありませんが。
娘のこぐまちゃんがいつもお弁当を「美味しかったよ」と言ってくれるので、朝はがんばって作っている。
いまは腰痛や筋肉の話を書いている。組織の解剖図とか見ると、しんしん痛くなってくる。このあとはメンタルの原稿が待っている。辛かろう。
いろんなものがなだれ込み過ぎる体質のことを、孔がたくさん空いていて侵入しやすいことを意味して「多孔的な自己」と呼ぶそうだ。私もよく「憑依型ライター」と言われるからその種のものを持っているのだろう。

このところ続く苦しいニュースを見ると涙が出る。というか、どこかで目を輝かせて注目されることに昂じるメディアの佇まいに吐き気がする。

傷つきやすく影響を受けやすい多孔的な人はケアをするのに向いているそうだ。とはいえ勘とともに強さ鈍感さだって必要だろう。自分の痛みを、「覚えがある」と思ってくれる人は直感的にわかるもの。ただ、あまりに互いにかみあうと、侵入されてバラバラになる。人は球体の方が良かったのだろうか。カチンと打ったら離れるから。そんなのやだよね、と呟く。

ほんと難しいものだなぁ。自分で在るってことも、自分を引き剥がしていくことも。

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