日常

区切る

今朝は午前中に、ここ数日間書いていた特集原稿を仕上げる。夕べ、一通り、またしても資料を読み直して、現時点の原稿で書けていないこと、必ず伝えたいことをメモしておいたから、それを見ながら原稿に手を入れていった。手を入れると、ここに来て人形に魂が入ったように原稿が動き出す。優しい気持ちとか、強い気持ち、ワクワクする気持ちとか……身体機能の原稿なのだけど、たぶん私にしか感知できないものを吹き込んだ。きっと誰かには伝わるように思う。雑誌の、手に取ることが出来る紙の質感を想像すると、文章だってそうなる。

今朝はおいなり弁当を作った。ゆうべ、おいなりを煮ておいて、今朝、青じそと紅しょうがを刻んだものを混ぜたごはんを詰める。
私たちのお昼も、おいなりさん。昼食後、家族の誕生日なのでレモンプリンを作った。ちゃんと固まるといいな。

明日会う友達からメールが届いて、文面を見るうち不意に涙が出る。私ははっきりいって彼女にいま寄りかかっている。でも、寄りかかる自分を責めない。責めるなって言ってくれるだろうし、寄りかかりたくなる人の気持ちをいま猛然と学んでいる。ありがとうって、心のなかで感じる。

午後、次の特集の音声起こしをはじめる。メンタルの記事。途中、うつの話、自死の話に及んだところでやはり苦しくなる。胃に鋭いものが差し込まれているような感じ。なんて正直。無理しない。寝そべる。ちょっと寝ようかなと思ったけど考えごとをして頭が冴えてきたので起き上がる。

ここで痛みをないことにしないのが大事。ゆっくりゆっくりいく。

忘れられないことがあっても、それにフォーカスしないことが大事なんだと思う。
フォーカスしない。翻弄されっぱなしにはならない。無意識のうちにフォーカスしはじめてしばらくしてそれに気づいたときに、「考えてるよ」と自分に言って、「はい、終わり」と区切る。その区切りに対して、余地は残さない。

どこまでも考え詰めようとする性質があるから、自分で切らないといけない。
そして、完全にではないけれどフォーカスしなくなる日が必ず来ることも私は知っている。

そっか、もう私は自分を憐れむのに飽きたのだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です