日常

見えない膜

きのう、こぐまが帰ってきた。
へんに明るい声。歌うみたいな声で「おべんとおいしかった!」
「そっかそっか」

ごはんを食べ始めて、
今日さぁ~と途中まで話して沈黙になる。
「なにそれ、ためてんの?」
といったら「カレーを噛んでいるんだよ~」と言いながら
「やだ、泣いちゃった……」と泣き始めた。
学校で、つらいことがあったらしい。
友だちが調子よく言ったことを真に受けて、
楽しみだなぁ!って喜んでいたら、
「本気で言ったんじゃないのに困ったな」とその子たちが話しているのを
後ろで聞いてしまったらしい。
「自分だけ盛り上がって勘違いしてみじめでさ。
こぐまさ、鈍いからさ。いつもいろんなこと言っちゃって
誰かを傷つけてるかもしれないしさ。
でも、なんでそんなこというのって、
思ってないなら言わないでよって、やっぱりみじめで」
と、わーわー泣いた。
いろんなことを話した。

お風呂に入ったあと、すごい疲れてしまう。寝転んで考える。
友だちづきあいで、つらいことを100倍ぐらい増幅させて
その記憶も深く刻んでしまうので、結果的に友だちづきあいを
怖がってきたこぐま。
だからこそ、ひとつの刺激が大きく自分に波及する。

本当はすごくすごく、友だちづきあいに憧れているんだよね。

部屋でまた号泣してる。かわうそのぬいぐるみを抱えて。
ベッドの隣に座る。
「いまはまだ、出来事がおこりたてだから、
その子の姿が目の前でこーんな大きいかもしれない。
それは仕方ない。
でも、一週間後、一ヶ月後、その子のサイズはちょっとずつ小さくなって、
まわりにいる友だちの顔とかがしっかり見えてくるよ」

「1限の前にそのことがあったから今日は夕方まで何も手につかなかった。
今日はもうなにもしないで寝る~」って。
朝、すっきりした顔で起きてきた。
まだちくちく痛んでいるだろうけど、強いなぁと思った。

なんか切ないなぁ。
ほんとうに、ひとは、たったひとりなんだけど、
目に見えず支えてくれる人もいるよねっていうことを感じる。
その存在そのものが見えない膜になる。

「カウンセラーの東畑さんは、自分がしんどいとき死に顔で出勤してたらしいよ。
平気な顔しようとしないで、死に顔になっていいよ」って言ったら
「今日、放課後に友だちに、死んだ顔してるよって言われた。
でも話聞いてもらった。今までだったら言えなかった。でも言えた」って。

きのう、こぐまに話すときも、
私自身がつい最近言ってもらえていたことが頭に響いていて
それを伝えているような感覚があった。

息を吸って吐くように、思いも吐いて、誰かがいる場所で空気のなかに響かせる。
なにものかが食べてくれる、そして違うものに変化する。
意図を持たないでいい。そのほうがすんなり変化していくように思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です