日常 - 記憶

砂の穴

きのうは体調悪く、夜ははやめにゴロゴロしてた。
帰ってきたこぐまが、学校で仲間はずれっぽくされたと泣く。
じめじめした季節だからじめじめ案件は心に堪えるよね。

私はちょっと「は?」と思う案件があり
「取材前までに電話で話しましょう」と今日は打ち合わせ予定。
そのことを今朝家族に話したら、延々と批判&「なんでこう言わないの」と私のこともついでに批判される。あー……いつものこれだぁ……と思うんだけど、「それがあなたなんだね。はい、それで気が済むんだからよし」と思い始める。そして「は?」な人も、それがその人。その人なりのやり方。でも、まんま受け入れることはしませんよと釘を刺し、刺したからには私も力を尽くすという全体が仕事であり、人間関係なんだろうと思った。相手の背負うものまで自分がお節介に手出しをしないということだ。手出しすることで、そこにないはずだった成分がベタベタと醸成されるようなイメージが浮かんでくる。しまいにそのベタベタに絡まり動けなくなる。

窓から芳香剤のきつい匂いが入ってきたので窓を閉めた。気づいたのは、夏が来て、また秋が来て、という時間の流れが怖くなくなったこと。先に待つ怖いものの気配がどこかに行ったような。
それだけでよかったんだなと思えている。
欲しがって失い、大きな穴ができて、
その穴を埋めることもせず。
穴そのものがサラサラと風化していくのだ。

ただ安心するとか、自分の思ったことを即座に認めて良いとかいうことは、まだまだ「新しい・慣れない体験」だから、新しいゆえの緊張とか、変化を怖がる構えとかが共存している。ここに書くことは、私的冒険の記録でもあるのだろう。

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