日常

怖れを操る

今朝の夢にあの人が出てきた。
いっしょに歩いていて、川沿いの店に入って、
席で並んで川と樹を見ながら「ああ、この人の決めること、言うことに注視している、
その構えは今も変わらない」と思っている夢だった。
目が覚めて思った。「夢は、夢。もう私はそこに意味を求めない」。

umiさんが書いてくれたコメントの
「周りの声 雑念」
そのあたりを考えていた。

自分は「人」にあまりにも影響されていた。
決意すること、行動、思い描く「やってみたいこと」すらも。

人間は、人間と生きてきたから、影響を強く受けやすいのは当たり前だけど
その構えを私は、はずそうと思った。
好き 嫌い 苦手 同意 拒否 そういったものの判断が
常に「他者」を経由することがデフォルトであることを
手放す。だって関係ないから。

ただ、たとえば車のマニュアル運転でいうと
ギアをまだぐんと1速には入れないで、
ニュートラルにもまだなれない、
その微妙な、どこに入れるんだよっていう
手元の迷い的なものすらも見届けていく。

それが自分が取り込んできた「怖れ」を操っていくことなんだと思う。

2 Comments on “怖れを操る

  1. ああ。本当に。
    本当に おんなじ大地に立っているんだなー って
    とても嬉しかったのと心強かったのと
    ちょっと泣きそうになったのと。
    本当に状況や色々なことは違っても
    感じていたことが一緒だったからこんなにも
    翠雨さんと深く急速に繋がったんだなと改めて思った。

    ありがとう。

    また気付いた発見や気持ちを共有しようね。
    私も日々日々、伝えたいことがあるよ。
    いつもいつもありがとう♡

  2. umiさん
    ありがとう。全然たやすくないし風は痛いし。でも清々しいのだよ。
    umiさんもそうなんだよね。

    痛くても、重かった前よりよっぽどいいや!てやんでえ!

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