日常

今日の日記

編集者さんに原稿をお送りできた。ひと休みしておいしいおまんじゅうを食べた。今日書いていた原稿は栃木県の兄貴たちの原稿で、私はイケメンにはさっぱり興味がないのだけどああいった優しくて不器用そうな人は好きだーと思う。その愛は、ふかふかしたぬいぐるみにそっと体をもたせかける感じ。相手にも気づかれないからいい。そういう人のほうが多いんじゃないかな。多いとか少ないとかじゃないね。イケメンを好きな人の言い分も聞いてみたい。そもそもイケメンってなに?整っているということだろうか。芸能事務所に入りそうな風貌ということ? 安心ということだろうか。顔かたちというより、人と接するときは最初に見た表情とは違うものが少しずつ表明されてくる過程がいいなぁと思う。

時間が出来たらギターの練習をしようと思っていて、またしても躊躇していて弦が錆びてしまっている。つい、本棚の本に手が伸びる。ミステリーを読んでいることについて話したとき「それはもはや読書ではないですね」と言われて、腑に落ちた。時間を埋めるミステリー。今度の週末にちょっとだけギターに触ろう。弾けるようになりたいのだ。せっかく硬くなっていた左手の中指薬指の皮がまたひよひよに柔らかくなってしまった。

私はずっと前からなにをやっても不器用だけど、そもそもお手本となる人が上手すぎるように思う。料理、裁縫、楽器演奏。どれも型紙があるようなものをたどるのが大変に苦手。自分の料理は見た目は工作みたい。味は美味しい。ギター演奏でいえばどうなるんだろう。聴いた感じではしどろもどろだけど美味しい演奏ってあるのかな。そんなこと考えずにギターを触ろう。いずれにしても最低限のラインはあるだろう。それは料理も同じ。大根にはやっぱり切られたい方向があるように見える。それに従って切り、面取りまでしてだしで煮ると幸せそうなお顔になる。礼を尽くすということかな。そしたらギターに対しては、左手の指でコードを丁寧に絶妙に抑えて右手の指でふわりと鳴らすということかも。そんな風になれるには、練習しかないのです。

5 Comments on “今日の日記

  1. 綺麗な空だなぁ〜

    イケメン好きの私からしたら、、、と言っても
    私のイケメンは定義が狭いので、アレですが。
    そうだなぁ〜まずは 整った顔立ち はあるかな。
    何種類かのイケメンがいると思うんだけど、大体は雰囲気もあるよね。

    ただ 整った顔立ちじゃなくても イケメンはいると思う。
    イケてる面(ツラ構え) と イケてるメンズ(顔は二の次)。
    私は両方兼ね備えていれば尚良しです!笑

    ◻︎

    最低限のライン をどう捉えるか
    も、本当に個々に違うから難しいよね。
    でも必要で。
    なんでもそうなんだけど、きっと全ての最低限のラインが
    高い人もいるかもしれないけれど、全部同じじゃなくて。
    そういうところに こだわり っていうものが見えてくる気がして
    それが個人を形成しているのではないかなと
    思ってみたりした。

    そう思うと興味深いよね。

  2. Umiさん

    ありがとう。夕べからワクチン副反応で発熱してた。さっき復活して夕飯作ったけど味しなかった。
    明日には復活。

    イケメンのことね、書いてから、ああでもキノコイケメンは違うなあ。Umiさんの目線に愛情があったなあって。

    ジャニ問題とかでさ、イケメンといわれるような風貌のひとを集めてお金集めるシステムに国民は加担してきたじゃんってモヤモヤしてたの。

    今日はぼんやりだからとりあえずこんな感じにお返事するね。

    Umiさんもお疲れさま!

    1. ジャニ問題は奥が深いよね。
      っていうか、
      権力がある側がそうではない立場の人にすること
      という図としては
      これに限ったことではないと思う。
      腐った大人たち(知ってて知らんぷりするのも含めて)って
      どこにでも腐るくらい沢山いて。

      小さな話で言えば私も養成所時代に先生に個人的に気に入られて
      家に遊びに来いと言われて危なかった経験がある。
      で、そのあともあからさまに私にだけ声を掛けてくるから
      他の生徒達から陰口言われて、、、ってこともあった。
      そういう時って男でも妬むんだなーって思った。

      あ。長くなるからまた持ち帰る!笑

  3. あ!
    イケメン問題の国民の加担について
    と違う方向の内容になっちゃった。
    ごめん、こっちだよね。

    世界的に例えばモデルとか、そういうのも同じとこあるよね。
    結局多くの国民というか大衆は いいよ! と言われるものや
    誰かが示した基準 に乗っかってることが多いから、しょうがないのかなって気もする。(ほぼどーにもならないという諦め)
    1番ダメなのはその基準を生み出すやつ、その業界の近くにいるやつだと思う。

    で、ここからは私の個人的な見解だけど
    美しい とか 綺麗 とかって、人に限らず物や形あるものには全てに共通していて、それは例えば屋根ひとつとっても、バランスのいい物を良しとするところはあって、それが全てではないけれど、まぁきっと拭えないものなんだろうなとは思う。
    物作っててもそう思ったし、ガッチャガチャのでっこボコを賞賛することの少なさは致し方ないと思う。
    って、ちょっと飛躍しすぎてるかな。ごめん。

  4. Umiさん
    ありがとう。
    いろんな側面から考えを聞かせてくれて。
    Umiさんのも読んだよ。

    自分の中でも考えたいこととリンクして
    でもゆっくり考えようと思った。

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