今日は東畑開人さんの「野の医者は笑う」を読んでいた。
凄く面白かった。
またこれは言葉にしてみようと思う。
朝、この間の歌の違うバージョンを作ってみた。
言葉を付け加えた。
今はこういうことをしている時間が好きだ。
言葉だけだと強すぎるとき
メロディに言葉をのせると
焦点がぼやけるでもなく
合わせすぎるでもなく
目が灰色になるような感覚になる。
東畑さんはそれを「オウムの眼」と書いていたな。
あるか ないかの 希望
あるか ないかの 記憶
暗闇にくつろいだ
それはゴーストの欠伸
水の中でうたう
退屈なうた
進め 進め 進め
色のない 道を

チーズケーキ、久しぶりに焼いた。
言葉 って、これは私にとってだけれど(他の人は除いといて)
とても重要で、その一言、一文で、気持ちや世界観が変わって。
それはそこに 自分が知っているその言葉の意味 があるからで
だから私は英語が分からないけれど、調べたらおおよその意味は分かって、大体の解釈はするけれど、それは書いた本人の意図するものかどうかは最終分からない。
でも日本語でもそれと同じで、結局解釈は個々によって異なるんだと思う。
それを前提として(前置き長いな)。
この曲を最初に聴いた時の感触よりも
ずっと粘度が上がった気がした。
もうちょっとぬるっとした感じ。で、あったかい。
きっと日本語の意味で伝わってくるからかな。
最後の 進め 進め 進め
色のない 道を
ここが好き。そう、進むんだよ って思う。
希望があってもなくっても。記憶にあってもなくっても。
積極的か、そうじゃないかも関係なく
生きるというのは進むこと。言い方を変えれば動くこと。
なんか、そういうことを思った。
時々 全部が嫌になる病 が発症する。
それでも頭ん中がぐるぐると嫌なことで埋め尽くされても
最終的には結局、明日も生きる。
正解じゃなくても正しくなくても、進む。
進むというのは動くこと。動くというのは生きること。
今の私にはそんなふうに聞こえたよ。
捉え方が全然違っていたらごめんね。