日常 - 記憶

さみしさと仲良し

夕方脱稿して、歩いて25分ぐらいの郵便局まで散歩した。歩くと汗が出てくるくらい蒸し暑くて、なのに見あげると木は枯れかけた葉っぱがカサカサしててしっくりこない。

自転車に乗ってると心は空っぽになるけど、歩くとなにかが降り積もってくる。待ち構えていたように。砂鉄が磁石に吸い付くようにしずしずと寄ってくる。いったいどこにいたのこの気持ち。やっぱりいたんだね。
そういえばずいぶん泣いていないなぁと思う。久しぶりにひとりで歩くとこういう気持ちを思い出すっていうことは、仕事して、生活していれば辻褄がちゃんと合うから大丈夫ということなんだろう。さみしさを好きだと思えるくらいにさみしさと仲良くしていたい。

そうそう。朝ライドできたよ。朝霧が出ていてひんやりして気持ち良かった。

2 Comments on “さみしさと仲良し

  1. 落ち着く。
    翠雨さんの言葉は落ち着く。
    言葉選びも最初から他の人と違ってて
    私はこの言葉を紡ぐ翠雨さんも好きだけど
    翠雨さんの文章も好き。

    すごく綺麗な写真。どちらも。
    生活には基盤があることはとても重要で
    幸せの一部なのだと身に沁みて思う。とても大事。

    例えば
    寂しいとか苦しいとか悲しいを持ち続けていないと
    その気持ちや想いがリアルに分からなかったりする
    というのはあると思う。
    だけどそう生きるのは辛さもあって
    でもその世界でしか見えてこないものもあって
    そういうのが難しいなと思ったりする。

    上手く言えなくて、どういうことなのかなと思っていることが
    沢山あって、そういうことが日々の中で流れていく。

    んーーーん。今日はこんな感じ。

  2. umiさん
    ありがとう。
    言葉について、文章についてそんなふうに言ってもらえるととても嬉しい。
    水の中にいろんな気持ちがあってそれをただ混ぜて、混ぜたままを言葉にしたような感じだったので、umiさんがその気持ちを限定しないでそのまんまに見てくれたこと、とても幸せに思った。

    離れて、箱の中にしまったことで、
    こうして変わってくるんだなと思う。
    変わるというか、消化されていくっていう感じ。
    ときどきこうやって「いるよ」って言ってくる気持ちも大切にしてやろうと思う。

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