電車のなかでいっつもイヤホンを差し込んでた時期があった。
仕事の合間の移動中、そのときに聞きたい曲を選ぶ瞬間が好きだった。
タイトルをスクロールすると瞬時にその曲の雰囲気が映し出されて
あ、これかも、と思って再生する。
忘れられない瞬間が、BUMP OF CHICKENの「arrows」。
10年ぐらい前、仕事で新潟に通っていて、一通りの仕事が終わった最後の日。
チームはみんな酒飲みで、その仕事をいっしょにやろうと誘ったカメラマンさんもそうで。
私はもう早く帰りたかった。新幹線に乗って一人になりたかった。
でもそこはタクシーで一人帰るには辺鄙な場所で、
酔っ払いに「なんで酒飲まないの」みたいに言われ。
帰り道、ようやく最寄りに向かう路線に乗って「なんでこんな疲れてるんだろ」と
イヤホンを差し込んだ。何を聞いているのかも意識しないまま、
「arrows」が流れてきたときに両眼からだーっと涙が出てきて、
みぞおちが震え、その震えは指先、足先まで伝わった。
車窓の向こうの住宅街を見ながら、
「しんどかったんだなー」と思った。
帰りたい、一人になりたい、は、自分を覆ってた殻が
破れそうに感じたからなんだった。
取るに足らないこと、疎外感、それが解放されて、
遠い過去に経験した疎外感も一緒くたになって、曲と混じり合い、あったかいものになった。
いまも、ふと思い出す曲はたくさんある。
イントロからアウトロまで内側から響いてくるってことは
もう自分のなかに音楽の蓄えはあるってことで、
無理にイヤホンを差し込もうとしなくていいな。
音楽も、記憶も。もうあんないいものに出会えない、と思うから遠ざかっている。
こうして体にくっついているものを大事にしよう。

湖の底にいるみたいだ
って曲、題名は覚えていない。でも、曲は覚えた。
頭に流れるのは翠雨さんの声。だから本物を聴いても?ってなる。
教えてもらった クラムボンのタイムライン。
歌詞は曖昧、でもこの曲の空気感と包み込まれるような音温度が好き。
この曲「arrows」も優しい曲だね。
またきっと何度でも聴く。
自分の好きな人が好きだという曲は聴いてみたい。
何を想ったのかな?何を感じたのかな?って思うから。
その時の翠雨さんを救ってくれて、労ってくれた曲って思って聴く。
またいつか 聴きたいと思う曲 に出会う日が来るかもしれない。
そこまで、どこか楽しみな日として泳がせながら。
きっとそういう時がやって来るから。来ないならまたそれもそれ。
翠雨さんの体にひっついている曲、また教えてね。
歌ってくれても もちのろんOKよ。笑
umiさん
湖は、「憂一条」だね。
いつも受け取ってくれてありがとうね。
arrowsを思い出し再生をしていると、この曲はumiさんと私みたいだなと思った。
荷物をあずけっこして、つらいとこからは離れて、遠くの雲に、いつかのぼろうって頷いて。
「どこか楽しみな日として泳がせながら」って
とってもじんわり、絶妙に響いたよ。それも、雲を見てる気持ちと繋がってる。
じっくり歌詞を聴いてみた。
本当だ、私たちみたいだ。
自分がキツい時に助けてもらって
抜け出そうとした時に
絶対に一緒に翠雨さんも今よりも楽なところに!
って、わたしひとり じゃなくて 一緒に って
強く思ったのを思い出した。
今もまた、あの時とは違う高さの山にいて
でもそれぞれ、登ってきたから同じ高さで相手を見つけられる。
そのことがとても嬉しい。
こんなに近い言葉で出会う曲って珍しいなぁ
音楽って私は作者の想いを聞くのも、ものすごく好きだけど
でも個々に勝手な 自分なりの解釈 で大切にする行為も
同じくらいすきです。
いい曲、教えてくれてありがとう。
umiさん
やっとお返事しにやってきたよ。
きのうは新幹線のホームでumiさんのメールみて、上野まで爆睡した。
取材で見たこと感じたこととかあるから、また追いついたら書くね。
不思議だよね、歌もどんな作品でもそうだけど、作り手の意図から離れて働いていくから。だからって作り手の意図が要らないわけじゃなくて、それぞれが心して作って、それが心して生きてる存在に染み通っていくんだろうなぁ。
この曲、かわいくて好きだ。
聴き直してくれてありがとう。
おかえり
お疲れさま
ここんとこ こじらせおっさん が本領発揮で
こっそり 冬は伊豆だな って思ったのです。
悔しいので、なんとか楽しみを見つけようと思ってる。
今日は穏やかに晴れ。今のところね。
うんうん、また落ち着いたり、そういう気分の時に教えてね。