最近、夜9時には全身のスイッチが切れる。
忘年会は「夜、眠くなっちゃうので」と断り、
今年いっぱいで飲み会は卒業しようかなと思っていたら
本当にそういう機会がなくなった。
このあいだ夜遅く仕事が終わって銀座で打ち合わせした帰り道、
眩しくて賑やかでいたたまれなくなった。
最寄り駅についてさみしい暗い夜道が優しかった。
早足で歩いた。
今日、明け方に夢を見た。
くるりの岸田くんが出ていた。
私はうさぎをたくさん飼育している人の相談に乗っていて、
そこから車で数分のところに環境のよい飼育場所があって、
いまはその人はうさぎを馬や牛のいるところの隅っこで飼っているのだけど
こっちなら野原で広々飼えそうだ、地主に頼もうなんて話してる。
その地主というのが岸田くんの実家だった。
岸田くんはすごく暗い顔をしていて車で出ていった。
ベースの佐藤さんが、もうバンドは解散する、音楽はやめると
岸田さんは言ってるんだと説明してくれる。
清涼飲料水の広告キャンペーンに岸田くんがキャラクターとして
採用になり、そこから話がこじれたと。
試しに動画を見せてもらうと、まったくもって駄目な感じのものだった。
岸田くんから話が聞きたいなと思った。
目が覚めてぼうっとしていた。
自分は、悲しい気持ちの人に、話し相手に選ばれることが多かった。
でも本当は自分が求めていたのかも。
悲しみの輪郭を探し当てて、自分になぞらえて。
おぞましいのは自分だよと思った。布団の中で体を丸めてじっとしていた。
そういったタイプの人がいるということは
無駄にはなっていないのかもなと思った。
悲しい気持ちの人に、「話しを聞かせてよ」と言う人。
「そんなの誰にでもあることだ」と励ます人ばかりだと息が詰まるだろうから。
人にやってもらうとありがたいのに、
自分がそれをしていると思うと受け入れがたい。
「あんたはお父さんに反抗ばかりしてたね。私はお父さんに愛されることを選んだ」
と言った姉の言葉をたびたび思い出す。
愛されることを選んだ、という言葉につくづく違和感があり、
それは自分にはなかった感覚で、
私は愛されるということはちょっと怖いし、
そんなことならば誰かに間接的でいいから力を送ることのほうがいいと思う。
きれい事みたいだけど、互いの間にパラフィン紙一枚ぐらいの間があるほうがいい、
人間は怖い。
大画面で阪神タイガース優勝記念番組をつけてわいわいしている夜の部屋に
頭が痛くなって「もうあっちにいくね。静かな環境のほうで本を読む」というと
「もしかしてHSP?」と笑う。
そういうことすべてがおぞましい。
おぞましいと思うのは自分の鏡だからなのか。
わからなくて、やっぱりまだ向き合うことができない。
「私、とにかく人に対して低姿勢よ」
「でもパート先の人とはそんなに仲良くなりたくないの」
母からもらった小遣いを8000円も使って
職場に飲み屋に知り合いにとお土産を買い込んでいる。
「生理痛で休むって当日電話してくる人がいて
自分の体の面倒ぐらいちゃんとみろや!と怒鳴りたくなる」
私は「生理痛はつらいよ~。休むしかない人もいるよ」
というけど返事はかえらず次の話題に進む。
そばで話す言葉を眺めていると、嘘ばかりだなぁと思う。
私はお世辞が本当に言えないし言われるのも無理だから
嘘は感知する。
でもそういう性質も、この人をそばに見ながら作りあげられたのかなと思うと
虚しくなる。
実家から帰る飛行機のなかで
「なんで私、ひとにお菓子作ってプレゼントしたりしてたんだろう。下手なのに」と思った。
ちょうど、マフィンの話題になって、
「私、他人事じゃないと思った。
人にあげるときには業務用手袋をして作ってるけど
人が作るものとプロが作るものというものの間に
これほど受け止め方が違うのかと思って」と話すと、
「私は完璧なラッピングするよ。
もしかしてラップ巻いてあげたりしてるんとちゃう」
と言って、アイシングをしたクッキーの完璧なラッピングを見せられた。
包み方のコツ教えて、と私が作った肉まんの写真をみせると
「どうやったらこんなやりかたできるんだろう」と言われた。
帰ってその話をしたら、むーは
「あなたはとことんコントロールされていたんだね
それで、まだコントロールから抜け切れていない。
にこにこ笑っていたんでしょう?
『ああ、価値観がまったく違うので、そう言われた人がどう
思うかが分かっていない人なので、これからはあなたとは関わりません』って
言うこともできたのに」と言った。
実家から帰ったあと、本を読むことができなくなった。
音楽だけでなく、本まで。
でも寝る前のミステリーだけは続いてる。
甘い炭酸飲料をがぶがぶ飲むみたいに流し込んで眠くなったら本を閉じる。
こんな読み方したくないけど、それでもまだ本とはつながっていたい。
「修正したい」と思うクセを手放していこうと思う。
すてきな書き手に触れてすてきなメロディに触れて
いいな自分もきっとできると願うようなこと。
自分はしっかり生き続けてきたのだし
できることだってすでにあるのだし
このあいだ取材である先生が言っていた。
「脳のニューロンネットワークの話をすると
たくさん張り巡らされたらそれだけいいみたいに思うかもしれないけど
実は抑制系のGABA神経系が大事。
抑制し、刈り込むことで、適切に働くことができる」
自分の体から出ていたおぞましい触手を
刈り込んで刈り込んで
何も映らないような両眼で
そんな両眼だから、いつか映るものもあるという希望。
むーの発言に同意。
っていうか、もう 要らない人 なんだと思う。
こんな言い方でごめんね。
私は 完全に自分を舐めきっている人 とは離れたい。
そう感じる。前回その話を聞いた時に
あんまりにも酷いなと思って。
それが私にはショックだったから、ものすごく辛かった。
(だからごめんねとか謝らないで。そのくらい酷いって言いたい)
あと それに付随する過去 は、もう関係ない。
だって今は違うし、それがあって今の自分がある ということは
決して落ち込むことじゃない。
今の貴女は素晴らしいから、それがあったのだとしたら
それによって今の貴女なのだとしたら
そこで我慢して頑張ってくれてありがとう と私は言いたい。
今の貴女じゃなかったら、私はこんなに好きにはならなかったと思う。
彼女がどんな人なのか、言葉でよくわかる。
いくらでも こういう考えの人なんだよね って言えるんだけど
言うのもくだらないくらいに、もう遠い。
貴女とも遠い。ずーっと遠い。だからもう見なくていい。
私は 家族だから とかっていうのがあまり好きじゃないし
が故の って問題やストレスってあると思う。
相方の親を無視しているのは、私が怒っているからなんだって最近気が付いて
でもそれは「謝ってもらったら許す」とかじゃなくて
「私が許したい気持ちになるまでは許せない」んだって気が付いた。
「許したくない」っていう感情や「嫌いになる」という感情は
悪いものではなくて、仕方のないことなんだって最近は思う。
それでも。
最終「どうなりたいか」は貴女次第。
私やむーではなくて。だから言い過ぎてたらごめんね。
追伸
私もむーも 貴女が好き だから
貴女が無碍にされていることに頭にきてる。
くだらないヤツに心を痛めていることに怒りを感じている。
貴女には心地よくいてほしい。
悲しい気持ちになったり、自分にダメ出しするような感情を
そんなところから感じてほしくない。
家族がそうであることは残念なことだけど、それは仕方がない。
貴女は貴女を生きていて、貴女はもっと自信を持っていい人だから。
umiさん
ありがとう。ぜんぶ読んだよ。ブログも。
言葉にすることができないぐらい淀んでて
それでもきのう言葉にすることで力が出てきた。
そして、umiさんはやっぱり200%私の味方で、
そうだよね、うん そう言ってくれるよねって
頷きながら噛みしめるように言葉を食べた。
遠い。遠いんだよねもうすでに。
近づけるのやめる。
今朝、umiさんの言葉をよんで、
ケーキ焼こうって思っていま焼いてる。
冷ましたら今日送るね。
雪だから、あさってぐらいの到着かもだけど
相方さんと食べてね。
ほんとありがとう。
言葉にするってそのことに向き合うってことだから
とても心が痛かったと思う。
頑張ったね、お疲れさん!って思うよ。
遠くにあったら、なんなら川に流して
遠い海の向こうの向こうまで流しちゃえば
このことでこころを痛めることがなくなると思う。
それでも時々は思うから。
でもそれを繰り返していくと、その回数は確実に減って
絶対にそこに対して 強い心 が出来上がる。
だから大丈夫。その繰り返しにも私は並走するから、怖がらなくていい。
いつでも吐いていいから。大丈夫。
負けないように。絶対に勝ってやろう!
ケーキ!貴女のケーキは格別。
優しさで出来てるって知らないあの人は可哀想。
そこには優しさパウダーがたっぷり入ってて、食べた人を幸せにする。
そういうものだよ。
泣いちゃうよ・・・
そうだね、川に流す。そのイメージ、いいね。
すごい勢いで、魚みたいに流しちゃお。
あははって笑おうっと。
いまumiさんの言葉読んで
ほんとうに、これまでたどった道で良かったんだって芯から思った。
そうじゃなきゃこんな言葉をもらえないし
こんな言葉の優しさも感じられなかったと思った。
でしょ?笑
ああ、お役目、ご苦労さん!
もう充分だから、やっと気が付いたし、もう要らないからバイバーイ!
って思えばいい。
私も こんな私 を辿ってこなければ、出会えなかった。
それはきっと翠雨さんも同じ。
だからもう、それでいい。
クソッタレはクソッタレのまま、生きる。
でもそれは私たちからは遠いところにある。
それでいい。
誰から見てどうか よりも 自分で感じていること が大事で
それでしか生きていけない って最近強く思う。
どうせ私たちはでこぼこぼこぼこぶつかって、そんなに器用には生きられないけれど
ちゃんと大事なものは知っている。分かち合えて分かり合える相手がいる。(私たちね)
それは生きる上でものすごくラッキーなことだと思うんだ。
そうである私たちに、乾杯したい気分よ。
umiさん
大事なものを知っていること、分かち合えてわかり合える相手がいること、
いまはどっちも強く肯定することができる。
乾杯しよう~!
おいしい白ワインがいいなぁ。