昨日は製薬会社の会長取材だった。
「日本の医療は優れているなんて言われるけどあんなの製薬の力やない、現場の医師や看護師のみなさんのアナログの努力でしかない」という言葉が残った。
アナログの努力。
去年から週刊誌で書くことになり、テーマを振られて15年以上前に会っていた専門家の方達に久しぶりに連絡して取材をすることが増えてる。
みなさん、変わらずライフワークに取り組んでおられる。
自分のことなんて忘れられているだろうと思っているのに、
まるで昨日会ったように対応してくれる。
すこし昔を互いに知っているだけで、「最近こういうことがあってね」とか
「この素材で測定してみたらね」といった余談を話してくれる。
昨日も撮影担当はそんな時代によくご一緒してたカメラマンさんだった。
「○○っち~、久しぶり!」というと「○○ちゃん!」と、当時の私が呼ばれてた呼び名で呼ぶ。
「相変わらず可愛らしくてよ」「あらお上手」なんて軽口をたたき合いながらその呼び名というものが息を吹き返していることに変な気分。
あの頃、ただただ元気でかっ飛ばしてた。生活はぐちゃぐちゃだったとしても、
笑ってた気がする。
その後に闇がやってきて人を羨んで。
誰にだってあるだろうそんなこと。
でも襲ってきた闇に打ちひしがれていたことなんて露とも知らない人が変わらない呼び名で呼んでくれることに、あ、死ななくて良かったんだなとか、ふと思った。
ちょうどきのうの現場は、悲しいことがあった駅で、
改札出口も、改札出口から歩いて行く方向も、いろんな記憶がまだ張り付いていて
新たな記憶で上書きしてしまえばよいと思っていたけれど、電車から降りると体がすくみ胸が痛くなり座り込みたくなり、だめだと思った。
棚上げだ。なんともできないのが今の自分だと思った。そしてそのあとに呼ばれた呼び名によって、そのときどきで不格好にやってきた自分が分身の術みたいに線画で浮かんで、帰り道はその線画ごと山手線に流していた。
記憶も線画みたいにもつれてほどけて。
