今日は「嘘」をテーマにした原稿を書こうとしてる。でもまだアクセルを踏めなくてうろうろして、スタバに行ったら仕事先の人にプレゼントしてもらったスタバのカードを無くしていることに気づいた。どこ行ったのー。
午後に日射しが出てきたのでドーナツを作った。
書こうとしているのはこんなこと。
たとえば周囲が呆れるような大嘘つきがいたとして、それは暴力を振るう人だとかコミュニケーションが苦手な人とかがこの世界にいることと同じで、「嘘を平気でつく人は、いる」。いろんな人間がいるうちの、ただ一人だ。
それに、嘘をつくことはときには命を守ることでもある。
戦いの場所で「お前は一人か」と聞かれて「一人だ」と嘘をつき通さなければ、隠れている子どもは殺される。
誰もが自分を守りたいから、ごまかしの言葉をごにょごにょ言うのはよくあること。
嘘をつかれたのでは、と猜疑心がつのるときは自分が参っていないかを振り返るほうがいい、というような話。
弁護士は現実問題の解決をするのが目的だから、クライアントに嘘をつかれると戦いにくい。カウンセラーは心の元気を補給するのが目的だから、クライアントが話すことは事実じゃなくて全然いい。起こりえない話をしてくれても、そこに乗っかって聞き続けるだけ。
本を読むことと似てるかも。
あり得ない大嘘でいい。
そう思って読んでいるのにあのときのあの自分にぴたりと重なったり、本当はそうだったのかもと思える心が不意にあらわれたりする。
大嘘つきがいるから世界の広さやでこぼこがわかる。
ライターが書く言葉も相手のことばを克明に再生するだけじゃなくてちょっと塩こしょうをしてしまう。ただしそれはわかるかわからないかぐらいの微妙さを残さないと。
何年も前だけど「盛ってくださってありがとうございました」と言われたときに頭からぞうきんをかぶせられたようにつらかった。そのつらさを覚えておくために、調子よく書かないほうがいいんだろうと思う。

ドーナツは生地がゆるくてスポンとぬけたのは3つ。でもおいしーよ
嘘 かぁ
つきたい嘘 と つきたくもない嘘 があるなぁと思った。
基本、誰かを喜ばせる小さな善の嘘 (小さなが重要) は
結構ついているかもな と思う。
誰かを傷つける嘘や迷惑をかける嘘、
また自分に返ってくるような嘘は付かないほうがいい と思う。
当たり前のこと言ってるけども。笑
ようは 嘘をついていいシーンは有る ということ。
なんでもいいわけじゃないのだと思う。
暴力を振るう人は駄目。
でもコミュニケーションが苦手な人は駄目とは言えない。
意外に分けられているのではないかと思ってみた。
ただ
なんでもいる。
本当にいろんな人間がいる。
良いとか悪いとかはまた個々に違うし、それはそれでいい。
好きとか嫌いとかも然り。
でも 暴力を振るう人はやっぱり駄目。笑
「盛ってくださってありがとうございました」
このセリフ言える人って、、、。
まぁ、悪気はないのでしょうけど、センスの問題?間違えちゃった感じ?
こういう人もいるんだよね、いろんな意味で感覚が自分と合わない人。
ま、嫌味じゃなかったんだとしたら(よくわかんないから)、それはそれ。
「頭からぞうきんをかぶせられたようにつらかった。」
こういう感覚、あるよね。うんうん。
会わなくていい人と会ったんだなーって思おうね。
umiさん
読んでくれてありがとう。
コメントも、なんか今日は通りすがりというよりも
カフェに座って横並びにしてるみたいに話してくれてる感じがした。
今回あまりしっかり話を聞けてなかったなぁと思ってこうして書き連ねているうちに
なんかドツボにはまってるでしょ・・ さっき読み返してそう思った。
でもumiさんが考えて話してくれた言葉で、いっこ筋道ができたような感じがして
これから集中して書いてみようと思う。
そうだね。たぶん感覚が違うから、
いやみでもないんだねきっと。
今日はこっちはいい天気。久々に自転車に乗ったらギアの使い方忘れてたよ。
umiさんとこもそろそろ、春の空見えているかな。