ゆうべ観た「アナザーラウンド」の余波で今日はぼんやりしていた。
登場人物の気持ちがぐっと入り込んで抜けていかない。
あのときあの人はもうそうすることを決めていたのかなとか思い始めて、描かれていなかったその人のそれまでの日々を思い、相手に渾身の言葉を伝えてドアを閉めてがちゃりを鍵をかけたあと、ひとりでベッドに寝転んでただ天井を見ていたんだろうかと想像したり。救命胴衣を脱いでしまったあとはどうだったんだろう、犬をどんな目で見たんだろうといっしょに海を滑っていくような気持ちになったり。
その気持ちと、書いている原稿のテンションがあまりに違うので、今日はもうだめだなと思いチョコバナナケーキを焼いた。熟したバナナ2本がとろっとおいしい。
食べているときはほかほかするけど、気持ちがあがったあとはさらにどぷんと沈んだ。
この沈んだ感じが何ヶ月も何年も続いて、おかしいんじゃないか人間はもっと気持ちが明るくてよいものではないかという問いのもとにあったのがあの映画だったんだろう。
ちょっと上がりたくてアルコールを飲み。気持ちをコントロールしようと企んでもそっち側にコントロールされていく。だったら希望を持たず、そういったものにコントロールされようとしないほうがいいのかなんて、そんな簡単にいくわけないよな。
大丈夫、夜が来た。こうして書いてると気持ちがちゃんと夜になった。好きな映画に出会えていつまでもこうして引きずっていられるのが嬉しいな。

好きな映画に出会えていつまでもこうして引きずっていられるのが嬉しいな。
この感覚、嬉しいよね。
作ってくれてありがとう!って思うよね。
なんかさ、いろんな人の想いとか習性とか感性とか
みんな違くて当たり前で、だからこその折り合いとか、擦り合わせが大事で
そういうことができないまま、揉めたり、つまらなくなったり、苦しんだり、喧嘩したりして。
で、そういう思いかたの分量が違うなとつくづく感じる。
当たり前だな、そりゃそうだ って思うので
あんまりストレスには感じないけれど、調整していくことが大事だけど難しい。
彼は敢えて死ななくても良かったのにね。
それでも ただ行き着いた先が死だった くらいの感じで
私はそこにあんまり大きな悲しみみたいなものを抱かなかったのに自分で驚いた。
大丈夫か?私。笑
あんなにいい仲間がいて、学校を辞めさせられただけで死んでしまうなんて勿体無い。
彼らのもう数年先の老後の姿が目に浮かぶのに。
きっと 一瞬そう思ってしまった死 なんだと思う。勿論常によぎってはいただろうけど。
と、どう想像しても、最終は起きたことが現実で。
もったいなかったなーって思った。
umiさん
おはよう。
うん。唐突に(周囲から見たら)もたらされた喪失で、その日は町中がお祝いの日で、そういうのが現実だなと思った。
彼を覆っていたべっとりとした絶望はどういうのだったんだろうって興味があった。
「彼ならどうするだろう」って仲間が言ってくれるんだな、それなら彼も安心してもういなくなれるのかななんて思った。
彼は本当に生きていたひとのように思うほどで、umiさんが「もったいなかった」って
言ってくれてることも、そのことを私たちが話してることも彼への思いにつながるね。
きっとああいうことがたくさんあるんだろうね。
理不尽さが薄まるように思うよ。