わかりたい、わかってる、わかってもらっているはずというようなことで堂々巡りしていた。書くときにずっとそこにハマっていた。
仕事で書くときは「事実」(といって良いもの)を複数重ねていく。どうしたってこっちの意図が入る。そこを自覚しながら並べる。それ以上やってはいけない、という線を、見えない状態で、でも自分の中にくっきりとどこに引くかなんだろうということを今日原稿を書きながら感じた。
相手のことも、わかるわけないと思う。そこには尊敬がある。その人にしか知りようのない歴史や経験、今この瞬間の感じ方がある。線を乗り越えると踏みにじってしまうものがある。ラテアートの花、見ているだけでよかったのに、みたいなこと。わかるよ、と言いたくなっても言わないで、黙って後で思い出し笑いするような人との関わりがいいな。
とはいえ。こちらがそう思っていても、その感覚を持たない人はするりと踏み越えてくる。その気配を感じる前に自分を守る。それが自分への尊敬。
今はちょっと 人と関わるのって面倒だな ってターンにいるので
相手の全てなんて分かんないし
逆も然り。
それを良いとも悪いとも思わないし
思わないようにしてるっていうのが本音。
自分しか守れないから、自分でうまく立ち回りたい。
そうは言っても、それすらなかなか難しい。
苦しい時に冷めたような気持ちになったり
その気持ちを違う方向にコントロールしてみようと思ったり。
自分が相当な馬鹿者なんだなということだけが分かったり。
とりあえず生きてる。
踏みにじっても、踏みにじられても
それが意図的か偶然か分からないから
自分→相手 の時だけは 意図的じゃなければそれで良いと思うよ。
逆はもう、どうしようもない。
こんなんでごめん。
umiさん
こんなんでごめん、って書かなくていいよ。
読んでくれてありがとう、そして言葉に変換してくれてありがとね。
なんかね、わからないっていう諦めと対象への尊敬を忘れたくないなと思ったんだ。
そうすることで、息の仕方が楽になったような感覚があって
それをただうわごとのように置いた。
「とりあえず生きてる」っていうumiさんに、いい朝が訪れていますように。
ファイト。←中島みゆき
なんか言いたくて
でも自分の精神状態が良くないと
きっと翠雨さんにとって
もしかしたら少しでも不快なコメントになったらやだな
とか思ってしまって。
それでも言葉を、というより、貴女を見ています って表示のような
フラグを立てるのがコメントみたいなところあって。
だから書いちゃうの。
で、ごめん って書いて濁して誤魔化してる。
甘えです。でもありがとう、書かせてくれて。
きっとね、またこうやって謝るの。
でも書きたくて書いてるの。
それはやっぱり完全なる甘え。
甘えさせてくれてありがとうね。
umiさん
いつも「見てるよ」の気持ちは感じてるし、受け取ることができてるよ。ありがとう。
甘えか~。
甘えってなんで甘えっていうんだろう。スイート、なのかしら。
どんな風味のものでもOK。辛口もOKよ。
umiさんのうわごとも受け取るからね。
なんにしても、umiさんがいい空に出会える日々であるように。
ありがと♡