「元気な声で電話ができないから」と言いながらの電話がきた。
退院から3日目。
手術の傷跡も管を抜いた後も痛いし、内臓の調子も良くならない。
元気な声になれない、と。
それはそうだよ、だってお腹を開いたんだよ。
若い人だってお腹を空けたらしばらくはしんどいって聞くよ。
そういうと
そうやな年寄りやもんな、こんな年齢になってこんなことになるとは、と
ため息をつく。
少しずつ、少しずつだよ。
気に病むと、もっとしんどくなるから、眠ろうと話す。
電話を切る前に「仕事で忙しいのにごめんな」といつもいわれる。
仕事で忙しい自分、そして仕事のすき間に半日、リフレッシュだってしていて、その時間があれば高速バスに乗って帰ることもできるのに
私だってこの年齢になってそれが怖くてできずにいる。
あの家がいやで18歳で出たんじゃないか。
祖父母と母との両方の話を毎晩聞いて、
ふすまの開け閉めの音に耳を塞いで
ごはんが食べられなくなるくらい
しんどかったじゃないか。
いろいろな人の感情が打ち寄せて
冷え切った両脚を引き抜いてきたんじゃないか。
もう、いいよ、と内側の私が言う。
彼女には彼女の生き方がある。
私には私の生活がある。
朝、5時34分にベランダから「きぼう」が通過するのを眺めた。
右側の空から左側に向かって、すすーーーっと通って、最後は朝焼けの薄い雲に溶けた。
今日読んでいた資料本にあった言葉。
「人にとって最大の誘惑は、ふたつあります。ひとつは奢ること。もうひとつは自分は神に許されないと思うこと。闇落ちとは絶望のふりをした大きな誘惑なのです」
「ほがらか脳のすすめ」加藤一二三、茂木健一郎(集英社)より
ぶわあ、と力が湧いた。
本当に もういい。
翠雨さんを、自分自身を守るために弾いた線は
長年戦って堪えて踏ん張って泣きながら弾いた線。
その線を死守していい。
私から強い言葉で言えば 死守するべき で
1ミリたりとも向こう側に崩さなくていい。
充分やってる。
想像してみて。
もし。もし彼女が亡くなっても、後悔するかどうか。
彼女は彼女の人生を生きた。そう思えるかどうか。
その時、翠雨さんに強い後悔が残るかどうか。
あくまでも自分のことはわかるけど
相手のことは想像でしかない。
そしてその想像はあくまでも翠雨さんの想像であって
それが相手の気持ちかどうかは分からないし、違うかもしれない。
だから大丈夫。
キツくならない時に少し考えてみて。
きっとそれが今の答えだと思うよ。
umiさん
ありがとう。
今日さ、朝、自然農園の甘酒と、父用の日本酒を送った。クール便で7000円弱。
私にしては大金。
それでも、体にいいものを入れたら元気になるんじゃないかと思って。
umiさんの言葉をここにきていま読んで
自分の気持ちがすむため、もあったんだ、だからいいんだって思った。
その質問、自分にしてみるね。
どこかに、自分がだめな人間だったからじゃないかって思っていたんだろうね。
でも、そうじゃないよって。umiさんみたいに言ってくれる人に出会えた。
そういうことだよね。ありがとね。