日常

しょうがの味噌汁はおいしい

夕べ深夜に目が覚めて、朝4時まで起きていた。
眠れなくなった理由はわかってるつもり。
ずっと避けてきたことを1回やってみて、
自分の選んだことは、それで良かったのだと捉えなおした。
理屈で1本線を引くことができたとしても、
剥き出しの心のほうはそうはいかず、
溶岩のように飛んできたものをよけずに目を瞑っていた。
眠れない間、昨日書いていた原稿について
「あの部分は削ったほうがいいのでは」と考え続けていた。
久しぶりの睡眠不足で、肩の後ろ側がずきずき痛む。
ベッドに寝転んで毛布にくるまっていると
体のまわりがだんだん熱で覆われて
繭玉の中のかいこの気持ち。
むっくり起き出してWordを立ち上げて
昨日書いた原稿を一文字ずつたどるように
修正していく。
お昼にしょうがをたっぷりすり下ろした卵の味噌汁を飲んで回復した。

再読している「ミレニアム4下」に付箋をした箇所。
「ゲームの駒になってもかまわない場合もある。少なくとも、ある程度までは。
暴露記事というのはすべて、どうしても誰かを弱体化し、
ほかの誰かの立場を強化するものだ。どんな権力者も失脚すれば、
あっという間に誰かほかの人物に取って変わられるが、その後継者のほうがましとはかぎらない。ジャーナリストとしてそうした変化の一端を担うのであれば、そのことをしっかりと肝に銘じる必要がある。そして、勝者となるべきは、一当事者だけではない、と心得なければならない。言論の自由と民主主義もまた、勝者とならねばならないのだ。
~中略~ジャーナリストはただ、その背後にあるメカニズムを理解しなければならない。記事を1行書くごとに、質問をひとつ投げかけるごとに、事実の裏付けをひとつ取るごとに、誠実でありつづけるよう闘わなければならないのだ」

ミカエルが目の前に座る相手に連帯感を覚えその粗野な魅力を好ましく思いつつも、
「それでも彼のことは一瞬たりとも信用していない」という言葉の意味。
ライターもまたひとりであるべきだ。
だから、納得いくまで修正しよう。

2 Comments on “しょうがの味噌汁はおいしい

  1. 日々日々更新されていく 自分の価値観 を信じつつ
    それが全て と思わないでいることは難しいことのように思えて
    実は当たり前のことで。
    そうやってブラッシュアップされていくことを
    私自身はここ最近は楽しいと思えるようになった気がする。

    非情とか冷酷とかではなく、もちろんそれぞれ個々に相対する人によって
    その程度は異なるけれど、私も基本 ひとり を強く思ってる。
    それぞれと交わる出来事も状況も異なるから、常に同じではないし
    その考え方がある意味で必要不可欠なものな気もしてて(言葉にして説明することが難しい)
    きっと文章も、言い方を変えれば
    どういう対象に向けて書いている記事なのか
    で書く方向性や文章の柔らかさや硬さが違うのだろうと思う。
    そこに 自分の強い想い がどのくらい必要なのか、必要の内容と程度と強さ。
    そういうことが絡み合ってひとつの記事になると思うから
    そりゃぁ難しいよ。笑
    感性や感覚は人によって違うし、それでも文章には その人 が出るし。

    翠雨さんの文章の 信頼 と 優しさ。
    いくつもの公の文章を見ていても、それを感じる。
    そしてわたしはそれこそが1番大事だと思う。

    ん?
    なんか全然的外れだったらごめんねー笑

  2. umiさん

    ありがとう。

    umiさんのいうとおり、
    「どういう対象に向けて書いている記事なのか
    で書く方向性や文章の柔らかさや硬さが違う」

    その通り。
    ここ何年かは、あえてこれまで会ってこなかったジャンルの人達に
    会うようにしていて、そういう行動は、
    対象をイメージする情報集めになってたんだなと気づいたよ。

    信頼と優しさがあるなんて、それはうれしいなぁ。。。

    このコメントを読んで、
    あるおじさんとの関わりについて
    思うことがあったので、あたらしく書いてみた。

    今回の原稿でも、やっぱりそのどうでもいい派閥争いのことが
    影響していたりして、やられていたのだけど。

    自分も変わっているんだぞと強く思えたよ。ありがとう。

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