このあいだ会った方と話していたときにその方は
「試行錯誤することはあるけれど、やると決めた自分に負けない」と呟いた。
そのことをずっと考えてる。
なにかに向かっていく魂の熱さみたいなものがなくなったことが悲しく、
そもそも私は偽物の熱に浮かされていただけなのではとも思っていた。
ここ数年、いわゆる「推し」のようなものを持っているたくさんの人に、
それはどういうものなのか、話を聞いていた。
どの人も粉を振りかけられたように輝いていた。
話を聞くほどに、そこまで好きになり、涙ぐんだりして、
持続的に行動していく気力が眩しかった。
気力を失うきっかけとなったことはいくつか思い浮かぶけれども
そのことも含めた経験がたしかに現在を作っていて、
くぐり抜けたことを悔やんでいないし
綺麗なこと白いことだけで人生が構成されるわけでもないし
少なくとも何も知らないことによる暴力を発するようなことは
避けられているのかなと思う。
自分にとって「やると決めた自分に負けない」ということってなんだろう。
それは嘘を書かないということかな。
具体的な数字にも形にもならない目標で
自分を守るベクトルであるだけのものかもしれないけど
ぼんやりと浮かんだので、ここに書きました。
「やると決めた自分に負けない」
そう自分で言えるかな?って問うてコソッとした。
出来てないなぁ〜
自分で自分を律していないとすぐにぼやけてしまう。
私はそのくらいだなーって最近よく思う。
それはとても残念なことだ。
出来ていることとそうでないことのそうでない部分は
常に自分で叱咤し続けないと駄目な部分なんだろうな。
怒りや憤りや悲しいとか悔しいとか
そういう一見ネガティヴな気持ちとそれらはどこかでリンクしていて
それは前から薄々気が付いてはいたのだけれど
そうだと認めちゃうには色々と面倒だし残念な気もするし。
そんなことを思って考えてみた。
そしてそれはきっとまだまだ続くのだと思います。
umiさん
ああ、ゆうべ私もそんなふうに、そのあたりの気持ちをかすっていたよ。
共通しているのかどうかわからないけど、
やろうと思っても、自分で先に諦めるような、手放してすっきりさせたいほうが勝るというクセは
自分のこれまでの行動、綿々とつながっていることがあって。
でもそれはもう仕方のないことだと思う、力の無いときには。
ただ、それじゃあいつ力はでるんだよ?とも思う。
もうちょっと考えてみようっと!ね♡
書いてくれてありがとうね。
翠雨さんと会話したかったよー
でも私はなんかじぶんから発信する気分じゃなくてね
待ってたの。だからありがと。笑
そうね。
ただ状況に流されるわけじゃなくて、まあ流されてもいいんだけど
その中で思った方向じゃなかったことが意外と良かったりもして
そういうのも少しずつ感じてるから、やっぱり諦めないで叱咤しながら
ぬるくてもいこうと思うよ。
やさぐれてもあんまりいい結果にはならないから
自分観察しながらいこうと思うよ。
umiさん
書きたい気持ちって、とんとなくなることってあるよね。
でもいつかまた、書きたくなるから不思議だよね。
そのくらい、気持ちに素直になるようにいきたいと思う。
思った方向じゃなかったことが意外と良かったりもする
ってこと、あるね。
あまりに頑なに方向性を決めていると、見逃すやつ。
これからも観察しながらいこう! お山のお散歩も楽しもうね。