日常

気負ったり気負わなかったり

去年11月にレポートを書いた医療ベンチャーのピッチコンテストの登壇者のみなさんの振り返りの会。
すずらん通りには古本屋が並ぶ。本が日焼けしないよう、店の間口は北向きになってるって聞いたことを思い出す。おじいさんが本みたいな佇まいで椅子に腰掛けている。

現場は通りから少し入った雑居ビルだった。狭い階段は、友達の家に遊びに行ったときみたいな匂いがした。キラキラしたオフィスだと思ってたから拍子抜け。
ホワイトボードには「祝・卒業!」という文字と校舎や男の子女の子のイラストが描かれてて、めっちゃ手作りな会だった。
登壇者と指導者が円形に座る。
私は撮影時に写り込まないよう、ついたての向こうに入ってレコーダーをセットする。
「前回のレポートを書いてくださった○○さんでーす!」と紹介され、
起業家のみなさんが「へぇ~」「そうだったんですね!」とこっちを見てくれる。
きっと読んでくれたんだろうな。
読んでくれた人が、こうしてぱっといい表情を見せてくれること。届いたものがあたたかくて、なかなかない経験だなと思った。こういうことが自分はうれしいんだな。

気負うことないな。どうして、なんでもかんでも気負うんだろう。
気負うほうが簡単だ。だったらいっそ気負いの極ぐらいまでいって、ふわっと抜けたときにちょうどいい言葉が視界に漂いはじめるから、それをぽつぽつ拾えばいいのかな。結局そういうことをいつもやっている気がする。

アットホームな時間が終わって、これから打ちあげに行くというみなさんにさようならをして、階段をぴょんぴょん降りる。
お茶の水までの一本道、明大のリバティタワーを横目に歩く。
こっち側は楽器街。ギターやトランペットに照明が当てられていて、眩しくてとても入っていけないなぁと外から覗いていたら、白髪まじりの店員さんが一心にギターを弾いていた。私のLittle Martinは、弦が錆びてリビングに置きっぱなしだ。

あの古本屋のおじいさんは、楽器屋さんのおじさんは、お店の鍵を閉めたらそれぞれどんな部屋に戻るんだろう。
なじみの定食屋でビールを一杯を頼む。テレビのニュースをぼんやり眺める。
電車に乗って、ポケットから鍵を出して、お風呂に入って、ひんやりした布団に潜り込む。
きっと一生しゃべることのない人の想像もつかない暮らし、硝子越しに覗くみたいに。

2 Comments on “気負ったり気負わなかったり

  1. ちょうど友人へのメールに
    昔の私は常に何事にも身構えてた
    って書いたばかりで
    ああまたリンクしてるなーって思って読んだよ。

    タイムラインの曲みたいで
    見ず知らずの誰かの日々を
    そっと想像して
    それがよき日でありますようにと
    思うことは素敵なことだと思う。

    曲と共に流れるようなその想いは
    とても心地よかったです。

  2. umiさん

    読んでくれてありがとう。
    リンクしてたんだね。

    ほんとだ、タイムラインだね。
    思い出させてくれてありがとう。
    そんなふうにumiさんは、私の書いたものを受け取ってくれてるんだな。
    聴くことができなくても、ちゃんと胸の中に流れているなぁってメロディを思い出しながらゆらーっとした。

    「身構える」ことは、力の使いようによっては「打ち込む」ことでもあるから、なにものかの源にもなる。だから、umiさんの言うように、どれもが無駄ではないね。

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